この人との出会いがなかったら、こんなにネットに深入りすることもなかっただろう。
DCIへの日本人参戦のパイオニア、しかもBlue Devilsのプレイヤーだったと知ったのは、かなり後のことで、従って私のなかでは、今も、熱き心と澄んだ目を持った頑固なおやぢでしかない。


本名/足助一郎(あすけ・いちろう)
ペンネーム/
麻生圭一郎(あそう・けいいちろう)

国際電話の交換手に自分の名前をこう間違われたことから命名。最近はあまり使う機会がないが、創作活動をする時はこの名前を使う。また、悪いことをする時にも使う。どうでもいい相手に名前を尋ねられると「麻生」と回答することもある。

またの名をいちろ〜

某音楽業界では、私の名字を知っている人は何故かほとんどいない。仕方なくこの名前を使用。

発生:1968年5月18日、午前1時50分。
発祥:山形県酒田市

生育歴

5歳まで東京で生育。

幼稚園に入園する直前に父親のイラン駐在が決まり、入園をキャンセル。ひとまず父は現地に入ったので、母の実家である酒田に数ヶ月在住、そこで初めて幼稚園に通 う。

73年からテヘランに在住。
78年 イラン革命が起こり、脱出。帰国する。1982年 まで千葉の田舎に引っ込む。
82年 父が懲りずにアトランタに赴任。家族共々ついていく。
85年 アトランタからサンフランシスコに引っ越す。日本人のあまりの多さに驚く。

最初に転校したところは日本人が多すぎて音を上げ、わずか一週間で両親に転校させてくれるようお願いする。

87年 高校を卒業。
    夏をアメリカツアーに明け暮れ、家に帰った途端、親に日本に強制送還される。
88年 夏休みの受験勉強の遅れを何とか取り戻し、上智大学に入るも、
   
途中約1年間日本を脱出してしまい、1年余計に大学に通 う。
93年 同校卒業。

職歴

最初は、通信機器のメーカーに就職。入社わずか3ヶ月で香港に飛ばされ、仕事に明け暮れる。
年が明けると、今度はもっとハードな中国の工場に飛ばされ、生産管理をする。
仕事ばかりの人生で人格が崩れかけ、わずか2年であっさり退職。

リハビリのため1年間定職に就かず遊びまくり、資金が底をついたところで仕方なく現在の仕事に就く。

96年5月 現在の会社に。
同年8月〜翌年10月 オランダ本社に滞在。

現在は、日本で基幹統合ソフトの開発で翻訳作業をやっている。自分が技術者向きとは決して思わないが、結果さえ出せばヒゲ生やしてようが頭が茶色だろうが文句を言われないので、居心地は悪くない。

音楽の履歴

83年 アメリカの中学でマーチングバンドに出会う。
84年 地元アトランタにDCI World Championshipsがやってくる。Semi-Finalを見学。
    衝撃を受けたものの、英語ができなかったのでそれが何なのかは分からず。
85年 サンフランシスコに引っ越す。
    同年夏、学校の友達にそそのかされて入らされた団体が実はDCIのメンバーコーだった
    ことをツアー中に知る。ファイナル12位。
86年 地元高校のドラムメジャーに就任、DCIなんて二度とやるかと思う。
87年 高校を卒業、親に内緒でBlue Devilsのオーディションに通い、受かってしまう。
    夢のようなひと夏を過ごした後、両親により日本に強制送還。
    受験勉強に専念する。ファイナル4位。
88年 何とか上智大学とかいう大学に潜り込む。この年から明浄の指導に。
89年 また親に内緒でBlue Devilsのスポットをゲットし、強引にアメリカへ。
    この年で引退、ファイナル4位。
    明浄の指導。吹連のマーチングフェスティバル始まる。
    関西大会で敗退。
90年 明浄の指導。吹連の関西大会で敗退、納得のいかない敗退に、大泣きに泣く。
91年 明浄の指導。吹連の関西大会を突破し、明浄初の全国大会へ。
92年 就職活動のため、サポート役に引く。
93年 就職、海外駐在のため活動から手を引く。
00年 明浄学院高校の指導に復帰。

特徴

発想が変。 やるときはやる。仕事であると割り切ることさえできれば何だってできる。金銭に生き甲斐を見いだすことができず、崇高で誇り高いこと、ものを好む。

欠陥

協調性に欠ける。理想主義に偏る。口数は多いのに、説明が下手。一度人を嫌いになるともうどうしようもない。人望に欠ける。自分が納得できなければ何もできない。ちょっと嫌なことがあれば簡単に仕事を辞めてしまう。すぐ上司に喧嘩を売る。etc............................

尊敬する人

みうらじゅん(発想の突拍子さにかけては、右に出るものはない)
アントニオ猪木(その強烈なカリスマに学ぶところは多い)
野茂英雄(近鉄ファンとしては、凄い奴というよりは愛すべき同胞)
中島悟(同じ時期に、同じような境遇で孤独にF1で活躍。かつての自分と重なる)
中田英寿(発想豊かなスルーパスは一流のドリルデザイナーに匹敵)
ジェリー・シーライト(Blue Devilsの初代ディレクター。我が人生で唯一会って緊張する人)
長谷川きよし(盲目の天才ギタリスト、我が人生の師匠)

アドバイス

孤高であることを好むため、放っておくのがいちばん楽。友人は少ないが、一度友人と認めたら基本的には一生ものと思うため、関わると厄介なことになる可能性大。

補 足

30過ぎになっても「紀香ちゃんと紗英ちゃん命」と嬉しそうに語る、やっぱり変なおやぢではある。

 ヤンのオランダ業務日誌(2001.2.27〜3.7)
 回顧録 (1984〜1986)
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